『第1回献血奉仕活動』を11月7日(土)に実施致しました。東京昭島ライオンズクラブに於ける献血奉仕活動の位置付けとしては、他クラブ同様奉仕活動の中でも最も重点を置いている活動の一つです。そして、その献血奉仕活動は年3回昭島北口駅前で行っており、最近では益々人の往来が多くなり献血には良い立地条件の下実行されて居ります。
50年ほど前の昭島と申しますと、いわゆる基地の町。近くには、立川飛行場、横田飛行場そして昭島には昭和飛行機工業鰍ェあり、当時はその全てに米軍が駐留していた地域です。現在では唯一横田基地だけが米軍の基地として存続しており、立川基地の跡地には皆様ご存知の通り昭和記念公園を始め多くの施設が建てられました。その一角に東京都西赤十字センターが在ります。 それでは、昭島地区の基地だった『昭和飛行機工業梶xはどうなったのか?
昭島駅前のお話をさせて頂きます。現在は『JR昭島』と言う駅名ですが、以前は『国鉄昭和前』と言う名前でした。昭和前と言う名は『昭和飛行機工業鰍フ前』と言う所から付いた名前だったと記憶して居ります。そして、昭和飛行機工業鰍地元では昭和飛行機と呼んでいます。 当時昭島には、昭和飛行機の従業員が数多く居住して居りました。その頃を知る人は、誰一人として『昭和前周辺は発展しようにも発展出来ない町』と考えて居たはずです。なぜなら昭和前北口の殆どが昭和飛行機の土地だった為で、開発の余地が無いと思って居たからです。 それから十数年の時が経ち、昭和前は少しずつ変わって行きます。駅名も『昭和前』から『昭島』へ代わりました。昭和飛行機の土地の一部は公団に売却され、そこには高層住宅が建ち、それに伴い人口が一気に増加致しました。 また、昭和飛行機の敷地内には当時米軍が使用していたゴルフ場が在り、現在は『昭和の森ゴルフ場』として東京近郊の中でも非常に人気の高いゴルフ場の一つでも有ります。また、以前は飛行機の格納庫として使用していた建物は『屋内テニスコート場』や『屋内スイミング場』に変わり、最近では大型バイクで有名な『ハーレー・ダビットソン』のショウルームが出来、週末には多くのバイカーで賑わって居ます。 駅前にはショッピングセンターのモリタウンや映画館が在り、我々が例会場として利用させて頂いている『フォレスト・イン昭和館』は、結婚式は勿論各種催事等にこの地域に無くては成らない人気の有るホテルです。現在のJR昭島駅周辺は『スポーツ・娯楽そしてショッピングの街』として生まれ変わり、現在ではJRの乗降客数は一日約52,600人と言われて居ります。 以前の『昭和前』はこの先も変貌を遂げるべく、昭島市と昭和飛行機工業鰍ェ一丸と成ってさらに多くの事業計画を実行すべく最善を尽くして頂いている『我々の街』昭島です。
そして、この様な地の利を生かし、昭島駅前で『年3回の献血奉仕活動』を行って居ります。
今回の献血活動を通じ、献血も大分一般の皆様に定着(リピーター)したな、と感じました。それは、われわれメンバーやレディーの受付より、献血カードをすでに取得し、直接パソコンでのデータ受付が多くなったと言うことです。この状況を見たとき、日本赤十字社は勿論、われわれライオンズクラブ全体のアクティビイティの成果も計り知れない程の大きなものがあるはずだと感じました。 当日は秋晴れで汗ばむ程の晴天にも恵まれ、多くの人が昭島を散策して頂けたお陰で、
受付トータル数:88名  200mL献血:25名  400mL献血:40名
採血出来ず:23名
と大変良い結果を出す事が出来たと思って居ります。
今まさに世界では『新型インフルエンザ』の早期対応をせがまれている中、これからの献血活動に於いても、多くの悪状況を想定しなくてはならない時代が来たような気がした今回の献血奉仕活動でした。
東京昭島ライオンズクラブ 幹事 L皆川 正孝